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明智光秀ゆかりの地・比叡山坂本
麒麟が来る世を目指し、戦乱の世を駆け抜けた明智光秀の足跡をたどる
本能寺の変で有名な戦国武将・明智光秀。
織田信長の家臣でありながら本能寺の変を起こした謀反人のイメージが強い武将ですが、近年、その人物像が見直され始めています。
2020年に放映された大河ドラマ「麒麟がくる」では明智光秀の生涯が描かれました。
さまざまな伝説的逸話を残す明智光秀が、その人生の中でもっとも武将として功績を残したのは、近江国坂本(現在の大津市坂本地域)でした。
光秀の足跡は、琵琶湖の南西に位置する比叡山坂本をはじめ大津に数多く残されています。
光秀と大津のゆかりやエピソードに触れながら、光秀が歩いた大津の地を巡ってみてください。
戦国のおしどり夫婦 光秀と正室 煕子
美濃国の武士である妻木範煕(もしくは妻木広忠)の長女として生まれた煕子は、15歳で光秀と婚姻しました。
光秀は、戦国武将としては珍しく側室を置くことなく、生涯、煕子だけを愛し続けたと言われています。当時の風習では妻が夫より先に亡くなった場合、夫が妻の葬式に参列することはありませんでしたが、光秀が西教寺で行われた妻の葬儀へ参列したという記録が西教寺に残されています。
西教寺には明智光秀一族の墓が現存しており、戦国のおしどり夫婦はこの地で今も仲睦まじく眠っています