Trip Ideas:大津の城めぐりコース

大津の城めぐりコース

北部・中部・南部/大津全域

今はなき、幻の城をめぐる。

京阪電気鉄道「京阪膳所駅」(JR膳所駅)からスタート!
◆京阪電気鉄道 石山寺方面「膳所本町駅」下車
◆徒歩なら約20分

【ルート】
 ◇京阪「京阪膳所駅」 
   | 石山寺方面(約2分)
 ◇京阪「膳所本町駅」
   | 徒歩(約7分)
01:膳所城(膳所城跡公園)
   | 徒歩(約7分)
 ◇京阪「膳所本町駅」
   | 坂本方面(約7分)
 ◇京阪「びわ湖浜大津駅」
   | 徒歩(約2分)
02:大津城(大津城跡)
   | 徒歩(約2分)
 ◇京阪「びわ湖浜大津駅」
   | 坂本方面(約14分)
 ◇京阪「松ノ馬場駅」
   | 徒歩(約20分)
03:坂本城(坂本城址公園)

巡り方の
ポイント
◆市内をはしる京阪電車の利用がおすすめ。
◆効率よくまわるには、1日観光タクシーの利用も。
膳所城跡公園
01

【膳所城】築城の名手、藤堂高虎が築いた湖上の浮城

膳所城は徳川家康が関ヶ原の合戦の翌年に完成させた城で、湖水を利用して天然の堀をめぐらせた美しい水城でした。
湖上から眺めると浮いているように見えるため「湖上の浮城」と呼ばれていたそうです。
廃城後、城門は膳所神社や篠津神社に移築され、本丸跡は公園として桜の名所となっています。

■ 膳所城跡公園
住所 〒520-0814 滋賀県大津市本丸町
駐車場 普通車数台
定休日 無休
料金 無料
大津城跡
02

【大津城】関ケ原の勝敗を左右したといわれる大津の攻防

安土・桃山時代に豊臣秀吉が築城。
現在、城跡碑が立っているあたりが本丸の跡で、広大な面積を持っていたと考えられています。
関ケ原の戦で、城主の京極高次が関ヶ原に向かう毛利元康の大軍を食い止めて時間稼ぎをしたこと(大津籠城(おおつろうじょう))は、勝敗を決める大きな要素となったことで有名です。
その後、廃城となり城は解体されましたが、天守閣の資材の一部は彦根城に移されたといわれています。

■ 大津城跡
住所 〒520-0047 滋賀県大津市浜大津5丁目
駐車場 周辺公共P利用(大型可・有料)
坂本城址公園
03

【坂本城】明智光秀と運命を共にしたびわ湖の水城

1571年の延暦寺焼き打ち直後、織田信長の命により明智光秀が琵琶湖岸に築城しました。
城内にびわ湖の水を引き入れた「水城形式」の城郭で、安土城に次いで絢爛豪華な城であったと伝わっています。
1582年の本能寺の変の後、羽柴秀吉軍の攻撃により落城したといわれています。

■ 坂本城址公園
住所 〒520-0105 滋賀県大津市下阪本3丁目
駐車場 普通車10台(坂本城跡公園P利用)
01:膳所城跡公園の立ち寄りスポット
04

【膳所神社】【和田神社】

膳所城跡公園から徒歩5分
【膳所神社】重要文化財:膳所城薬医門
膳所城本丸跡地の近くにある奈良時代の創祀と伝えられている神社です。
中世には諸武将の崇敬が篤く、社伝には豊臣秀吉や徳川家康などが神器(しんき)を奉納したという記録が残っています。表門は、明治3年(1870)に明治維新とともに廃城になった膳所城から移築したもので、国指定の重要文化財になっています。

膳所城跡公園から徒歩10分
【和田神社】重要文化財:膳所藩校「遵義堂」表門
本殿は鎌倉時代の建築で重要文化財に指定されています。
境内にある銀杏の樹は高さ24m、樹齢600年から650年で、関ヶ原合戦で敗れ、捕らえられた石田三成を京都に護送中につないだという伝説があります。また、表門は膳所藩の藩校「遵義堂」の門を移築したものです。

02:大津城跡の立ち寄りスポット
05

【大津港】【曳山展示館】

大津城跡から徒歩1分
【大津港】
びわ湖の水運を利用した物資の集散地として栄えた大津港。現在はびわ湖観光の玄関口として賑わっています。
大津港から出港する外輪船ミシガンでびわ湖クルーズに出るのもおすすめです。
最上階のスカイデッキから眺める360度のパノラマは絶景です。また、船内では音楽やイベントや食事を楽しむことができます。

大津城跡から徒歩10分
【大津祭曳山展示館】
湖国三大祭のひとつ「大津祭」をテーマにした展示館。
原寸大の曳山(模型)をはじめ、独特のからくりや幕類を映像で紹介しています。

03:坂本城址公園の立ち寄りスポット
06

【聖衆来迎寺】【西教寺】

坂本城址公園からバスと徒歩で約12分
【聖衆来迎寺】
比叡山延暦寺の念仏道場として栄えた天台宗の寺院。森可成の墓があったため、織田信長による焼き討ちを免れました。
国宝や重要文化財も多く、比叡山の正倉院とも呼ばれています。

足をのばして…
坂本城址公園からバスと徒歩で約40分
【西教寺】
聖徳太子が創建した、天台真盛宗の総本山。
戒律・念仏の道場として、1日も絶えることなく念仏が唱えられています。
比叡山焼き討ちで焼失した後、明智光秀が復興したことから明智一族の墓が残っています。