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鎌倉殿×13のゆかりの地 木曽義仲 最期の地をめぐる - 滋賀県大津市

瀬田の唐橋

日本三名橋の一つで近江八景「瀬田の夕照」でも有名。都への軍事や交通の要所であることから何度も戦乱の舞台となる。

義仲寺

この地で討死した義仲のために、巴御前が草庵を結んで日々供養したことが義仲寺のはじまりとされる。

石山寺

東大門や鐘楼などが源頼朝によって寄進されたといわれており、頼朝にゆかりのある文化財が今も残されている。

煌びやかな文化とともに、利権と武力が錯綜した平安時代末期。
ここ近江国は勢力を増す東国と都とを繋ぐ要所であった。
そんな乱世を駆け抜け、源平合戦に台頭した武将・木曽義仲。
義仲が最期を迎えた近江の地で、源氏ゆかりの史跡を辿る。

こぼれ話担当 伊藤 賀一

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木曽義仲きそよしなか

信濃源氏の武将で源頼朝みなもとのよりとも義経よしつね兄弟の従兄弟。2歳の頃に父が討たれ、信濃木曽谷の武将・中原兼遠なかはらのかねとおに預けられ育つ。以仁王もちひとおうの令旨により平氏追討の挙兵。倶利伽羅峠くりからとうげの戦いで平家の大軍に対し、角に松明を付けた牛を放つ奇襲をかけ大勝利。源平の勢力を逆転させた立役者として入京し「朝日将軍」の称号を得たが、その後、皇位継承問題に介入したことで後白河法皇ごしらかわほうおうと不和に。一時は征東大将軍まで上り詰めるが、頼朝が送った鎌倉軍と瀬田川を挟んで争い、最期は粟津あわづの地で討死。大津市の義仲寺ぎちゅうじに墓が建てられ、弔われている。

こぼれ話し

頭に炎をつけたら動物は(人間でも)その場で慌て暴れるはずで、本来は真っすぐ前に向かっていく習性はないです。倶利伽羅峠の戦いで、夜、牛の角に松明をしばり敵に突進させた「火牛の計かぎゅうのけい」が行われたかは不明ですが、本当だとしたらすごいことです。

巴御前ともえごぜん

木曽四天王の今井兼平の妹で義仲の妾。色白で黒長髪の美人でありながら、戦場では一人当千の兵者と伝わる女武者。幼い頃から兄達とともに義仲の従者となることを夢見て馬に乗って弓や刀を操り、倶利伽羅峠の戦いでは一隊の大将として活躍した。粟津の戦いでは、追い詰められながらも最後まで戦おうとするが、義仲に説得され戦場を去る。平家物語では、主君である義仲への最後の奉公として敵将の首を取るさまが「(敵将の)首ねぢ切って捨ててんげり」と表現され、勇猛果敢さが窺える。義仲の墓所に巴御前が草庵を作って日々供養したことが義仲寺のはじまりとされ、供養塚が建てられている。

こぼれ話し

武勇の誉れ高く、大力伝説でも有名ですが、これは、武士の家の大力が、女性の血筋で伝承されると考えられたことを背景としています。後世、この考えの象徴として巴御前のイメージが造形されていったと思われます。

今井兼平いまいかねひら

中原兼遠の子で木曽四天王の1人。義仲とは乳兄弟で幼馴染のように育ち、平氏追討の挙兵に従事。以降、数々の合戦で活躍し、義仲の勢力拡大に大きく貢献した。粟津の戦いでは最期まで義仲に付き添い、義仲に自害をすすめ、自らは囮となるべく敵陣へと飛び込んだ。義仲の討死後、「東国の殿ばら、日本一の剛の者の自害する手本よ(東国武士よ、これを見よ。日本一の剛の者の最期だ)」と言い、刀を口に含み、馬から飛び落ちて自害するという壮絶な最後を遂げたと平家物語には記述される。JR石山駅の北側に墓所があり、弔われている。

こぼれ話し

主人である義仲の死に合わせ自害したのは、実は平安末期の主従であれば当然でした。この後、時代が江戸時代に移り変わると、主従関係は「個人」でなく「家」どうしの発想へと変わり、主人が死んでも家臣は生きて次の若様に仕えるのが当然、と変化していきました。

源頼朝みなもとのよりとも

鎌倉幕府の初代将軍。義仲とは従兄弟でライバルでもあった。父・義朝よしともが平家に敗れたことで伊豆へ流された。その途中、大津市の建部たけべ大社に源氏再興を祈願したと伝わる。京から遠く離れた伊豆の地で機を待ち、以仁王の令旨を受けて関東を制圧。弟の範頼のりより義経よしつねに命じて義仲を討伐させた後、壇ノ浦で平家を滅亡させ源平合戦に終止符を打った。征夷大将軍に任命され、鎌倉に幕府を創設すると、封建制度を整えて軍政の礎を確立。側近・中原親能なかはらのちかよしの妻で、頼朝の次女乙姫おとひめの乳母でもあった亀谷禅尼かめがやつのぜんにのすすめで石山寺を保護し、多宝塔等を寄進していることから、供養塔が建てられている。

こぼれ話し

巴御前という勇猛な女武者をうまく従えている義仲に対し、従兄の頼朝もなかなかどうして。妻の北条政子ほうじょうまさこは、夫の浮気にキレて愛人の屋敷を破壊した逸話すら残る女傑。しかも頼朝は、その後も浮気をヤメなかったとか。

源義光みなもとのよしみつ

甲斐源氏の祖である源義清みなもとのよしきよの父で、武田信玄の先祖にあたる。義仲や頼朝の高祖父の兄弟。大津市の三井寺にある新羅善神堂しんらぜんしんどうで元服したため、新羅三郎しんらさぶろうと呼ばれた。幼少から弓馬の術に長け、兄・義家よしいえが陸奥で苦戦していると聞くと、京での官職を辞して駆けつけ勝利に貢献。しょう(雅楽の管楽器)の名手でもあり、陸奥へ下る途中に豊原時秋とよはらのときあきに秘曲を授けたなどの説話も残る。義光との所縁もあって新羅善神堂は源氏守護神として篤く信仰されており、三井寺は源氏に保護された。義光は三井寺で死去したと伝わり、新羅善神堂の近くに墓があり、弔われている。

こぼれ話し

長兄の義家は石清水八幡宮で元服し「八幡太郎」。三男の彼は新羅善新堂で元服し「新羅三郎」。東北の後三年合戦での兄の苦戦を聞けば、朝廷の官職を投げうち駆けつける!兄弟仲の悪い源頼朝・義経や足利尊氏・直義と違い、終生兄と円満で兄弟武士の理想像でした。

こぼれ話担当 伊藤 賀一
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