音声で紹介する戦国の大津歴史舞台
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大津市歴史博物館

平成2年に開館した大津市歴史博物館は、琵琶湖と美しい山々に囲まれた風光明媚なところで、その恵まれた自然の中で、豊かな歴史と文化を育んできた『大津』を紹介しています。
常設展のテーマ展示は、「堅田と比良山麓の山々」、「比叡とその山麓」、「大津百町」、「近江八景」、「膳所六万石」、「大津京」に分かれていて、歴史年表展示では、原始・古代から近現代にいたるまで、出来事を資料やパネルで紹介しています。
特にテーマ展示の中で、坂本城の歴史の紹介や江戸時代後期の坂本の町並みをジオラマで再現しているところや、宿場町「大津」の中心地、札の辻付近のジオラマや膳所城の復元模型などは、非常に興味深い展示となっています。
戦国時代の大津を知るには、いちばん最初に訪れたいところです。

名称
大津市歴史博物館 (オオツシレキシハクブツカン)
所在地
〒520-0037 滋賀県大津市御陵町2-2
アクセス
JR湖西線大津京駅から徒歩20分、京阪電車三井寺駅から徒歩10分
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膳所城跡公園

慶長五年(1600)関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康は、早速翌年、膳所城を築かせました。この城は天下分け目の合戦後、最初に作られた城で、築城には8人の奉行が当たりました。縄張りは有名な藤堂高虎が担当しました。
築城に際しての興味深い話として、関ヶ原の合戦のあとの守備として、逢坂の関を復旧するか、大津城を再興するかという家康の相談に、信任の厚かった本多佐渡守正信は、その策には賛同できないといって、瀬田の山岡景隆(かげたか)の城跡と大江の窪江城跡、そして膳所崎(ぜぜがさき)の3ヶ所に幟(のぼり)をたて、城地としての地勢を判断した結果、膳所崎が最適であると提案しました。
大津城は大津籠城の際、守りのもろさを露呈しました。瀬田の地では東海道を押さえても、湖上水運を押さえられないことから、膳所の地に決まったということです。
膳所城は、東海道の名勝として、屏風や図絵にも描かれ、街道を行き来する旅人は、「瀬田の唐橋 唐金擬宝珠(からかねぎぼし) 水に映るは膳所の城」と唄われるほどでの雄姿でもありました。

名称
膳所城跡公園 (ゼゼジョウセキコウエン)
所在地
〒520-0814 滋賀県大津市本丸町
アクセス
京阪電車膳所本町駅から徒歩10分
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膳所神社

社伝によりますと、天智天皇の大津京遷都のとき、膳所の地が御厨(みくりや)の地と定められ、天武天皇の代に大和国から食物の神を移して祀ったのが膳所神社の始まりとされていますが、確かな資料は、平安時代、この一帯が天皇の食事としての湖の魚介類を献上する場所に指定されたことによると言われています。御祭神は、食物をつかさどる豊受比売命(とようけひめのみこと)です。
江戸時代、膳所藩の領地になると、本多家歴代藩主に信仰され、神社の領地や社殿の寄進がたびたびありました。
なお、正面に建っている薬医門は、もともと膳所城の城門を移築したもので、重要文化財に指定されています。北門や南門も膳所城の門ですが、南門は近年建て替えられました。

名称
膳所神社 (ゼゼジンジャ)
所在地
〒520-0815 滋賀県大津市膳所1丁目14-14
アクセス
京阪電車膳所本町駅から徒歩3分
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篠津神社

御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。創始年代はわかりませんが、篠津神社にある康正(こうしょう)二年(1456)銘の棟札から、室町時代の中頃には鎮座していたことがわかり、地元の氏神として信仰を集めています。古くは、天王社、天王宮、のちに牛頭天王社と言われていました。
江戸時代に入って、膳所藩主本多家の崇敬を受け、神社の領地二十二石が認められていました。現在の社殿は、本多俊次が藩主の時代、万治四年(1661)に造営したものです。表門である高麗門はかつての膳所城の北大手の城門であったことが、発見された棟札から判明しました。この門は重要文化財に指定されています。

名称
篠津神社 (シノヅジンジャ)
所在地
〒520-0837 滋賀県大津市中庄1丁目14-24
アクセス
京阪電車中庄駅から徒歩3分
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若宮八幡神社

御祭神は仁徳天皇です。社伝によりますと和田神社と同じく白鳳四年の創建といわれ、天智天皇が宇佐八幡の神のお告げより、この地に行幸した時、紫の雲がたなびき、金色の鳩が飛来し、この近くの森の大木に止まりました。天皇は、それを、めでたいことの前兆として現れる不思議なこととして、神社の造営を決められ、仁徳天皇の木像を下賜されたことが、この神社の始まりだといわれています。
この神社は、延喜十七年(917)落雷のため憂き目を見ますが、再建後の平安時代末期、寿永三年(1184)、木曽義仲の粟津の合戦で焼失ののち、源頼朝により再興されました。江戸時代は、他の膳所の神社同様、藩主本多家に庇護されました。やはりこの表門も膳所城の城門を移築したものです。

名称
若宮八幡神社 (ワカミヤハチマングウ)
所在地
〒520-0836 滋賀県大津市杉浦町20-20
アクセス
京阪電車瓦ヶ浜駅から徒歩5分
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和田神社

御祭神は、タカオカミノカミ。本殿は、鎌倉時代の建築で重要文化財に指定されています。社伝によりますと、創建は白鳳時代といわれ、現在の社名のいわれは、この地の湖岸が和田浜と呼ばれていたことによります。
境内にある高さ約24m、樹齢600から650年と言われる銀杏の木は大津市指定の天然記念物です。
関ヶ原の合戦で敗れ、捕らえられた石田三成が、京都へ護送される途中、この銀杏の木につながれたという伝説が残っています。
また、和田神社の表門は、江戸時代、文化五年(1808)に創建された膳所藩の藩校である遵義堂(じゅんぎどう)の門を移築したものです。

名称
和田神社 (ワダジンジャ)
所在地
〒520-0812 滋賀県大津市木下町7-13
アクセス
京阪電車錦駅から徒歩10分
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膳所焼

膳所焼は、膳所藩のお庭焼として、また、江戸時代の茶人でもありました小堀遠州が全国津々浦々の窯場から自分好みの茶椀を焼いた7つの産地「遠州七窯」(えんしゅうなながま)のひとつとしてその名を残しました。
その歴史は、桃山時代から江戸時代初期にはじまったといわれ、元和(げんな)七年(1621)菅沼定芳が膳所藩主となって、以後歴代藩主の庇護のもと、広く知られるようになり、膳所焼の名前が一般的になってきました。薄作りで黒みを帯びた鉄釉に特徴があり、遠州好みの「きれいび」と言われる上品なつくりで、特に茶入や水指が名高いと言われています。
膳所焼美術館では、膳所焼の歴史を語り伝える展示を行い、館内では、膳所焼茶器による抹茶がいただけます。さらに同じ敷地内に窯元があり、昔、使用していた登り窯や現在作っている膳所焼もご覧いただけます。

名称
膳所焼 (ゼゼヤキ)
所在地
〒520-0837 滋賀県大津市中庄1-22-28(膳所焼美術館)
アクセス
京阪電車瓦ヶ浜駅から徒歩1分
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