☆体験レポート☆大津百町膝栗毛ツアーに参加しました!
今回参加したツアーは
かつて東海道「大津宿」のお土産として親しまれた大津絵。
今も残る大津絵の店や大津絵美術館でその歴史を感じると共に、貴重な「大津絵踊り」を鑑賞。
道中では宿場町の雰囲気が残る商店街の老舗で貴重なお話しを伺ったりしながら、宿場町「大津百町」名物の伝統工芸品”大津絵”の魅力に触れる旅です!
2022年3月23日(土)
びわ湖大津観光協会スタッフがツアーに参加。その様子をレポートいたします!
9:30
JR大津駅北口前より出発!
琵琶湖方面へ歩きだすと、さっそく大津絵に出会いました!
大津絵のマンホール!
市の木(山桜)、市の花(叡山すみれ)、市の鳥(ゆりかもめ)を中心に、
大津絵の「藤娘」と「鬼の寒念仏」を左右に、
下段には「びわ湖」と「瀬田の唐橋」がデザインされています。
交差点にあり、大きな存在感を放つ二株の巨木『華階寺』の大いちょうです。
この大いちょうは華階寺の開基とともに、植えられたと伝えられ、もともと華階寺旧境内にあったそう。
樹齢は四百年を超えると考えられます。
大津駅前大通りの整備の際にお寺は移設されましたが、このイチョウの木はそのまま中央分離帯の緑地として保存されました。
ツアーガイドさんが東海道の当時の様子とともに説明してくれます。
旧東海道の京町通り沿いを昔ながらの町屋を眺めながら歩きます。
お饅頭の老舗『餅兵』さん、建物をよ~く見ると、大津絵でも有名な『鍾馗』さんがお守りしています。(見つけられますか?)
老舗の造り酒屋『平井商店』を通り、
宿場町『大津』の雰囲気を残す3つの商店街をまたがった約600mのアーケードを通ります。
10:30
大津絵美術館のある圓満院に到着
圓満院は全国20万あまりと言われるお寺の中で、たった17ヶ寺しかない貴重な門跡寺院です。
宸殿のすぐ横に併設されている大津絵美術館を拝観。
大津絵美術館は江戸時代のポップアート「大津絵」を鑑賞できる唯一の美術館で、先代門主が所蔵してきた大津絵など古今の作品を広く公開する場として開館されました。
大津絵の由来や特徴などを説明いただきました。
大津絵は今からおよそ340年前の江戸初期、東海道五十三次の大津の宿場で、街道を行き交う旅人に縁起物のお土産として描き売ったのが始まり。
当時の大津絵は庶民のための安価な土産物(3文~4文・50円~100円)。
できるだけ早く、同じ図柄をたくさん描いて売るために、色も天然の土や胡粉(ごふん)を使い、わずか五色で表現。
ですが、大胆で力強い運筆で風刺や教訓の意味を含みながらもポップでユーモラスに描かれた大津絵の世界を深く知ることができました。
全国より寄贈を受けた多数の作品もあわせてご覧いただくことができます。
圓満院という特別な空間で、貴重な大津絵踊りを鑑賞。
大津絵は江戸時代の後期になると、たくさんある大津絵の中から人気の画題に絞って描かれるようになりました。それが「大津絵十種」。
その「大津絵十種」の画題は「大津絵節」という俗謡となって、大津の花街、柴屋町の遊女に口ずさまれたと言い、幕末から明治にかけて、全国的に流行しました。
この「大津絵節」に鬼や弁慶、藤娘といった面を付け、身振り手振りで舞うのが「大津絵踊り」です。
三味線の伴奏と唄にあわせて、大津絵画題から作った10種の面を3人の踊り子が、1人1面ずつ顔に付けて交替で舞います。
舞を披露してくださったのは「大津絵踊り保存会」の皆さま。
伝統の大津絵踊りをするものがだんだん減ってゆくなか、大津絵踊りをなんとか継承、普及しようと活動されています。
貴重な大津絵踊りを観賞した後、保存会の皆さまが
「どうぞ面をお手に取ってご覧ください」
とツアー参加者の皆さまに声をかけてくださいました。
実際に踊りに使用される面を手に取って目の部分をよく見ると、演者は踊りの最中、ほとんど周りが見えないことがよくわかります。
この面をつけて、あの素晴らしい踊りを舞うのかと、あらためて感動します。
面をつけての記念写真を撮ることも。
大津絵踊りを観賞した後、
『宸殿』(重要文化財指定)をご案内いただきました。
この宸殿は1619年(元和5年)に徳川幕府2代将軍「徳川秀忠公」の息女「和子姫」が後水尾天皇の后として正式に御所に入る際に建てられたもので、その後1647年(正保4年)に京都御所より譲り受けた建物です。
宸殿の南側に広がる室町時代の相阿弥の作と言われる庭園『三井の名庭』(名勝史跡指定)を観賞。
この日は雨で肌寒い拝観となったのですが、澄んだ空気の中、春を告げるウグイスの鳴き声が聞こえ、心癒されました。
後水尾天皇が座した玉座を配した「玉座の間」の天井は、特別な造りの格天井となっています。
お昼ごはんは、大津絵にちなんだ「大津絵・薬膳精進料理」
圓満院すぐ隣に併設の寺カフェ『遊々亭』にてお昼ごはんをいただきます。
大津絵をイメージした薬膳精進御膳です。
ひとつひとつの小鉢に、それぞれの大津絵のイメージに合わせたお料理がご用意されています。
たとえば『弁慶』。
弁慶が持つおおきな釣鐘の形を模したおからとたかきびの黒胡麻入りコロッケです。
料理に使われているたかきびは胃腸の働きを高めることや、じゃがいもはむくみや高血圧の改善に効果があるなど、お料理に添えて用意されている小冊子には、それぞれの小鉢が模した大津絵と薬膳食材の効能とが紹介されており、大津絵の世界観を食と一緒に楽しむことができます。
13:00
大津絵の店
江戸時代、東海道を行き交う旅人のお土産として販売されていた大津絵。とりわけ大津宿ではたくさんの大津絵が売られていました。
そんな江戸初期より大衆に親しまれ続いてきた大津絵ですが、鉄道の開通などにより徒歩の旅人が激減し、時代とともに衰退の一途をたどり、やがてこの大津の地から完全に消え去るであろう大津絵を、何人かの絵師達が必死にこの絵を大津に残すことに努力しました。
『大津絵の店』はそんな貴重な技を引き継ぐ五代目大津絵師 髙橋松山先生のお店です。
お店では大津絵の作成の工程や、描き方などを説明してくださり、
作成途中の大津絵も見せてくださいました。
商店街を散策しながら老舗商店へ
大津絵踊り発祥の地、旧花街“柴屋町”の路地裏を通ります。
商店街の道をふたたび散策
お漬物の老舗『八百与』へ。
こちらは創業170年のお漬物屋さん。
店主の方から貴重なお話しを伺うことができました。
名物の粕漬「長等漬」の名前の由来や、粕漬は今ではすぐに手に入るお漬物ですが、昔は一般の人は食べることができない高級なお漬物だったこと、もうひとつの名物の“千枚漬”のルーツは実は大津のかぶらであることなどなど、貴重なお話しをたくさん聞かせてくださいました。
また、「長等漬」と「千枚漬」はそれぞれ、大正3年と大正5年に宮内庁御用達となっており、京都・大津の漬物屋さんの中で宮内庁御用達はここ1件のみと聞き、驚きました。
欅の一枚板の看板からも歴史を感じます。
お話しを伺った後はお買い物。
老舗のお漬物屋さんと聞くと、なんとなく敷居が高く感じてしまうところですが、八百与さんは“地域のみなさん御用達のお漬物屋さん”でもあるところがすごいところ。
地元市民の日々の食卓で、バリエーション豊かに食べられています。
地元で生活しているガイドさんが、実際に日々のお料理でどんな風に食べているかのワンポイントアドバイスもあり、選ぶのが本当に楽しい。
そしてお店のカウンターから見えるところにもやはり大津絵が飾られていました。
『八百与』を後にし、鮒寿司で有名な老舗の『阪本屋』前を通り
和菓子の老舗『鶴里堂』に立ち寄ります。
こちらでもお買い物を楽しみました。
札の辻からふたたび東海道を歩き、事件現場へ
札の辻にて当時の東海道の様子をガイドさんから聞いた後、
『露国皇太子遭難地の碑』前へ。
ここは明治24年(1891年)帝政ロシアのニコライ皇太子に津田三蔵巡査がサーベルで切りつけた「大津事件」の発端となった場所です。
歴史博物館に残される当時の資料とともに実際の事件現場を眺めながらガイドさんの説明を聞きます。
ふたたび大津駅へ戻り、ツアーは終了となりました。
江戸時代に無名の職人によって描かれた庶民絵画『大津絵』
東海道の主要な宿場で土産物として売られ、画題、形態、用途を需要に応じて変化させながら発展し、明治にかけて東海道を往来する旅人の土産物として人気を集めました。
その独特の味わいと造形は江戸の浮世絵師達をも魅了し、初めて大津絵を知った西洋人シーボルトも興味を寄せ、20世紀の美術に革命を起こした巨匠のパブロ・ピカソが大津絵「猫と鼠」を所蔵していたり、ジョアン・ミロは展覧会にてその魅力に惹きつけられ大津絵「為朝」の大津絵と一緒に撮影した写真が残されるなど、芸術家たちにも愛される絵画となりました。
近年では2019年にフランス・パリでヨーロッパ発の大規模な大津絵の展覧会が開かれたこともある大津絵。
風刺が利いていて、ユニークで愛嬌のある大津絵の魅力を、大津絵発祥の地でその歴史を感じながら歩く今回のツアーとなりました。
今回のツアーの行程まとめです。
【コース】
〔9:30〕JR大津駅
ナカマチ商店街(丸屋町・菱屋町・長等)
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〔10:30〕圓満院(大津絵美術館・大津絵踊り鑑賞・拝観)
★昼食は大津絵にちなんだ「大津絵・薬膳精進」
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〔13:00〕大津絵の店(買物とお話し)
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柴屋町(大津絵踊り発祥の地)
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八百与(買物)
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札の辻
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鶴里堂
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大津事件の碑
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〔15:00頃〕JR大津駅