戦国の大津歴史舞台
戦国の大津歴史舞台

坂本/明智光秀の居城 坂本城/

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坂本城は、元亀二年(1571)の山門(延暦寺)焼き討ち後、織田信長が明智光秀に命じて築城させたものである。

山門の監視ができる比叡山山麓にあること、そして山中越で京都に通じる交通の拠点であるという点から、当時坂本は天下を左右できるほど重要な場所だと考えられていた。

当時活躍した馬借(運送業者)の活動拠点となっていたのも坂本で、光秀の没後、羽柴(豊臣)秀吉が信長の三男・信孝に送った書状に「坂本城をもてば天下を指図したい野心があると思われる」と記されていることからも、坂本の重要性を知ることができる。

さて、坂本城の構造的な特徴をいくつか紹介したい。

まず一つは、琵琶湖の水を城内に引き入れた水城形式の城郭であったことだ。

文化的な営みを愛した光秀は、しばしば城で茶会を開いており、光秀の茶湯の師匠・津田宗及の茶会記には「浜ノ方の御座敷」と記されている。

これは琵琶湖に面してお茶席が設けられたという記述で、水城形式だったことの大きな裏づけだろう。

また、近江の城によく見られたこの水城形式は、当時、政治経済や軍事上の面からも、港の役割を果たす水陸交通の要衝となっていたようだ。

そしてもう一つの大きな特徴は、高層の天主を持つ豪壮な城であったということ。イエズス会宣教師のルイス・フロイスも著書『日本史』の中で、「信長が安土山に建てたものにつぎ、この明智の城ほど有名なものは天下にない」と語っている。

光秀はこの豪壮な城を拠点とし、近江平定に奔走、本能寺の変で織田信長を討った。

その直後、山崎の合戦にて秀吉に敗れ、近江へ逃れる途中の小栗栖(京都伏見)で殺されると、坂本城は落城の憂き目をみることとなった。

琵琶湖畔の公園にひっそりと立つ明智光秀の石像 琵琶湖畔の公園にひっそりと立つ明智光秀の石像。
湖中には城郭の跡が残る。

光秀は信長の家臣でありながら本能寺の変を起こした謀反人のイメージが強い武将ですが、2020年に放送された大河ドラマ「麒麟がくる」では明智光秀の生涯が描かれ、その人物像が見直され始めています。

大津市坂本にある「西教寺」は明智光秀ゆかりの寺として知られ、境内には光秀とその一族の墓や光秀の妻煕子の墓がひっそりと佇んでいます。

また、近年、開発工事に伴う発掘調査で、画期的な発見となる坂本城三ノ丸の石垣を伴う堀が確認されている。

坂本城跡の価値は、1. 織豊系城郭の立地や構造、築城技術等を知ることができる重要な城郭であること、2. 琵琶湖を通じた京への流通拠点に築城された政治的・軍事的・経済的に重要な城郭であると、国の文化審議会にて評価されており、2025年9月18日に官報告示を持って国指定史跡となり、大きな話題を呼んだ。

この坂本城跡発掘調査現場は、遺構の保護、現場の安全管理の徹底のため現在、見学することはできない。

詳しくは大津市HP「坂本城跡の国史跡指定について」

参照(https://www.city.otsu.lg.jp/soshiki/010/2406/o/69700.html
西教寺境内にある明智光秀一族の墓。 西教寺境内にある明智光秀一族の墓。
左側に妻煕子の墓が佇む。
坂本城跡三ノ丸石垣。見学不可。 坂本城跡三ノ丸石垣。見学不可。
  • 坂本城址公園/

    坂本城址公園

    織田信長は、元亀二年(1571)9月12日、三万の兵をもって比叡山全山を焼き討ちしたのち、延暦寺の監視と山麓の滋賀郡一帯の支配を命じたのが、明智光秀です。その明智光秀が坂本城を築城しました。

    元禄三年(1690)の記録では、元亀二年のところに「明智 坂本に城をかまえ、延暦寺の領土を知行する。

    山上の木まで切り取る」と記されているので、築城は元亀二年のうちにはじまっていたことになります。

    また、京都・吉田社の神官、吉田兼見(よしだかねみ)の日記『兼見日記』によると、元亀四年6月に坂本城に訪れた時は「天主の下に立つ小座敷」で光秀に会っているところから、このころには完成していたようです。

    このお城の特徴は、まず、城内に琵琶湖の水を引き入れた、いわゆる「水城形式」の城郭でした。

    光秀の茶の湯の師匠である大阪堺の津田宗及(つだそうぎゅう)が坂本城に招かれ、茶会を催した時に「茶会のあと、城内から御座船に乗って安土城に向かった」と記しています。

    次に、高層の大天主と小天主がそびえる豪壮なお城でした。当時、イエズス会の宣教師として来日していたルイス・フロイスは「明智の築いた城は、豪壮華麗で信長の安土城に次ぐ、城である」と言っていました。

    坂本城は安土城より4年早く着工されていましたので、近世の城郭の先駆的な存在でもありました。

    光秀は、坂本城を拠点として信長の命により近江平定に奔走していましたが「本能寺の変」のあとこの城は10年で落城いたしました。

    名称
    坂本城址公園 (サカモトジョウシコウエン)
    所在地
    〒520-0105 
    滋賀県大津市下阪本3丁目1
    アクセス
    京阪電車松ノ馬場駅から徒歩25分
    URL
    https://otsu.or.jp/thingstodo/spot179
  • 西教寺/

    西教寺

    正式には「天台真盛宗総本山 戒光山 兼法勝西教寺」と言います。

    推古天皇二十六年(618)聖徳太子が高麗の恩師のため創建されたと伝わります。

    の後、久しく荒廃していましたが、第十八代天台座主「慈恵大師良源」が復興し、念仏の道場としました。

    恵心僧都源信も修行され、文明十八年(1486)真盛上人が堂塔と教法を再興され不断念仏の道場とされ、現在は全国に約440の末寺を有する天台真盛宗の総本山となりました。

    元亀二年(1571)、織田信長の比叡山焼き討ちでは、坂本の町家、日吉山王二十一社、山上の延暦寺堂塔一宇も残さず焼き払われ、僧侶や町人も老若男女区別なく約三千人が殺戮され、西教寺もすべて焼き尽くされました。

    その後、坂本城の城主となった明智光秀は西教寺の不断念仏の鉦の音を聞き自分の心のわだかまりをなくそうと、何かあるごとに参詣していたので、元亀三年(1572)から天正二年(1574)にかけて西教寺の壇信徒と協力して仮本堂の建立を始め、同年3月には落慶の運びとなりました。

    その時、宇佐山城の陣屋を移築して庫裏も造営されましたが、その時、梁に使用されていた材木には「天正年中明智公所造古木」と刻銘が入っていて、今も西教寺に残っています。

    そして、光秀からの寄進されたもので、梵鐘は坂本城の陣鐘で、平安時代の作で国の重要文化財に指定されています。

    そのほかに見どころとしては、総欅造りの本堂や伏見城の旧殿である客殿はいずれも国の重要文化財に指定されています。

    本堂の前には、明智光秀とその一族の墓や光秀の妻煕子の墓がひっそりと佇んでいます。

    名称
    西教寺 (サイキョウジ)
    所在地
    〒520-0113 
    滋賀県大津市坂本5丁目13-1
    アクセス
    JR湖西線比叡山坂本駅から江若バス7分、
    京阪電車坂本比叡山口駅から徒歩25分
    URL
    http://saikyoji.org/
  • 日吉大社/

    日吉大社

    比叡山の山麓、坂本に鎮座する日吉大社は、全国三千八百余の日枝、日吉神社の総本宮で、その歴史は古く、「古事記」上巻に『大山咋神(おおやまくいのかみ)、亦ノ名は山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)、此の神は、近淡海国(ちかつあわふみのくに)之日枝(ひえ)の山に坐し・・・』と記され、大山咋神は今も日吉大社の東本宮に祀られています。

    また、天智天皇が大津宮を造営されるころ、大和の三輪の神が祀られるようになり、こちらは今も、西本宮に祀られています。

    そして、最澄により比叡山が開かれると、日吉大社は延暦寺の護法神、守護神と位置づけられました。

    元亀二年(1571)の信長の焼き討ちでは、日吉大社もすべてが焼き尽くされましたが、その再興については、祝部行丸(はふりべゆきまる)という日吉社の神職が尽力し、全国を回り日吉社再建への運動を起こしていきました。天正三年(1575)、行丸は再建に着手し、比叡山の再興と同じくして天台の僧たちの尽力のもと江戸時代には再興がほぼ完了いたしました。

    日吉大社の建造物は、その焼き討ちにより、跡形もなく焼失してしまい、いずれの建物も桃山時代から江戸時代にかけて再建されたものばかりですが、以前の姿を彷彿させる重厚な建造物群です。

    主な社殿は重要文化財に指定され、特に西本宮と東本宮の本殿は「日吉造」とも呼ばれいずれも国宝に指定されています。

    他に、境内にかかる3つの石橋は重要文化財で、秀吉寄進と伝わる「日吉三橋」といわれ、西本宮までの参道には、山王鳥居という、独特の形をした鳥居があります。

    少し離れて、坂本ケーブルの南側に建つ「日吉東照宮」は徳川家康を祀る社で、寛永十一年(1634)造営の典型的な権現造です。

    名称
    日吉大社 (ヒヨシタイシャ)
    所在地
    〒520-0113 
    滋賀県大津市坂本5丁目1-1
    アクセス
    JR湖西線比叡山坂本駅から徒歩20分、
    京阪電車坂本比叡山口駅から徒歩10分
    URL
    https://hiyoshitaisha.jp/
  • 盛安寺/

    盛安寺

    周囲の美しい穴太衆積みの石垣に囲まれ、一際目立つ太鼓櫓には、天正年間、敵の急襲を知らせた恩賞として、光秀から庄田八石を賜ったと伝わる「明智の陣太鼓」がかかっています。

    山門をくぐると境内には本堂、客殿、そして六体地蔵尊の横には明智光秀公の供養塔があります。

    社伝によりますと、越前朝倉氏の家臣、杉若盛安(すぎわかもりやす)が天文年間(1532~1555)に再建したと言われています。

    坂本城主、明智光秀の祈願所となっていたこともあり、「明智寺」とも言われていました。

    天正年間には、明智光秀はもちろん豊臣秀吉が相次いでこの寺に天下泰平、玉体安穏の祈念を行ったこともありましたが、元亀年間の兵火で焼失したと伝わっています。

    現在は、坂本にある天台真盛宗総本山の西教寺の末寺のひとつとなっています。

    ここは、穴太(あのう)の里、高穴穂宮跡のあるとこで、天智天皇の勅願寺「崇福寺」(すうふくじ)伝来の、国の重要文化財に指定されている十一面観音菩薩が安置され、一般には5月、6月、10月の毎土曜日と正月三が日は特別公開があります。

    また、重要文化財の客殿は桃山御殿の遺材と言われ、内部の襖や壁には長谷川派の作とされる四季の草花や鳥、上座の間には漢の文帝「露台惜費」(ろだいせきひ)の故事が鮮やかに描かれています。

    名称
    盛安寺 (セイアンジ)
    所在地
    〒520-0113 
    滋賀県大津市坂本1丁目17-1
    アクセス
    京阪電車穴太駅から徒歩10分
    URL
    https://otsu.or.jp/thingstodo/spot170
  • 坂本城址碑/

    坂本城址碑

    信長の命により、明智光秀が築城した「坂本城」。この名城も10年後には、本能寺の変ののち「山崎の合戦」で光秀が敗れ、坂本城も落城しました。

    落城後、信長の重臣たちは尾張清洲城に集まり、信長の領地分割、いわゆる知行割りが行われ、近江の滋賀と高島の二郡をもつ丹羽長秀が坂本城の城主となり、羽柴秀吉は山城をもつこととなりました。

    その清洲の会議では、秀吉を坂本城主にという声が多かったが、秀吉は「坂本城をもてば、天下を取りたいという野心があると思われる」ので、丹羽長秀に渡したともいわれています。それは、坂本城は「今道越」という京都への交通の要所に立地していたからともいえます。

    しかし、天正十一年(1583)4月、秀吉が越前北庄で柴田勝家を破ると、長秀は、越前・若狭と加賀半島を与えられ、坂本城は、秀吉の家臣、杉原家次が入りました。しかし、家次狂気の風聞が伝わり、先の知行割りで瀬田城を与えられた浅野長吉に変わりました。

    そして、天正十二年に山門復興の許可がおりてからは、坂本城も延暦寺の監視のための役割もなくなったことと、秀吉が大坂城を築いたため東海道や淀川の陸運水運を通じて北陸と大阪を結びつけるうえで「大津」の重要性が高まり、歴史的な役割を大津城に譲ることとなりました。

    そして、坂本城廃城後、城跡は整備され田畑や住宅地となり、有名なお城でしたが、その位置や規模などは不明で、幻の城となってしまいました。

    ただ、江戸時代からお城が東南寺というお寺付近にあったらしいと言われていました。

    際、東南寺の少し北側には明智一族の墓と伝えられている明智塚が、今もねんごろに祀られています。

    また、琵琶湖の渇水時には、湖中に残る坂本城の石垣が現れ、当時の面影を時折、覗かせます。

    名称
    坂本城址碑 (サカモトジョウシヒ)
    所在地
    〒520-0105 
    滋賀県大津市下阪本3丁目7-26
    アクセス
    京阪電車松ノ馬場駅から徒歩20分
  • 明智塚/

    明智塚

    東南寺の北東約250m、国道161号の西側に村田製材所の事務所横に木造の鳥居と2つの石灯籠を有する小さな塚が明智塚です。

    ここは、古い小字名を「城」といいました。明智光秀が築いた坂本城の城内と推定されるところです。

    この塚の由来については、いろいろな伝承が残っています。

    たとえば、光秀が坂本城築城に際して、本家の美濃守護土岐氏から伝領した宝刀を城の主柱の下に埋めた跡である、とか、光秀秘蔵の愛刀「郷義弘」(ごうのよしひろ)の脇差を落城に際して娘婿の左馬之介秀満が埋めたところである、とか、また、左馬之介秀満の首を埋めたもの、とか、明智一族の墓所であるとか、いろいろな節がいわれています。

    光秀は、「本能寺の変」で信長・信忠親子を討ちましたが、13日には「山崎の合戦」で羽柴秀吉に敗れ、坂本へ逃げる途中、京都の小栗栖で土民に殺されたといわれています。

    それを知った光秀の娘婿、明智左馬之介秀満は安土城から坂本城に入りましたが、すでに秀吉軍は大津を押さえ、坂本城を完全に包囲しました。

    秀満は、光秀の妻や娘と自らの妻を手にかけ、天主に運び込んだ火薬に火を付け、絶賛を浴びた坂本城と運命をともにしました。

    この塚は明智一族の悲運もあってか、さわるとたたりがあると言われ、壊されることもなく現在に至っています。

    毎年、光秀の命日の翌日、坂本城落日の6月15日に、所有されている方の手でねんごろな法要が行われています。

    名称
    明智塚 (アケチヅカ)
    所在地
    〒520-0105 
    滋賀県大津市下阪本3丁目5-35
    アクセス
    京阪電車松ノ馬場駅から徒歩25分
  • 穴太衆積みの石垣/

    穴太衆積みの石垣

    京阪電車坂本駅から西へ進むと生源寺の前に石の鳥居が見えます。そこから日吉大社まで続く日吉参道は日吉馬場ともいわれ、坂本のメインストリートです。

    桜の馬場と言われ、桜並木が続き、桜や紅葉の頃は美しいところです。湖国三大祭のひとつ山王祭の花渡りなどの舞台となります。

    また近くには秀吉ゆかりの太閤桜のある薬樹院をはじめ、参道の両脇には延暦寺の老僧の隠居所であった『里坊』が続き、その石垣は、穴太衆積みの石垣と呼ばれ、坂本地区が重要伝統的建造物群保存地区に指定されている特徴的な景観でもあります。

    ちなみに、元亀二年(1571)の比叡山焼き討ちによって、信長は穴太衆積みの石垣の存在を知ったといわれ、坂本城をはじめ、天正四年(1576)着工の天下布武の「安土城」の築城には、穴太衆を動員したと言われています。

    「穴太衆」は古墳時代後期、渡来人がつくったといわれる琵琶湖西部に残る横穴式古墳の古墳群の石室が「穴太衆積み」の工法に酷似しているところから、その子孫が大津市の「穴太」に残り、長らく特有の石積み工法の技術を温存し続け、戦国時代の幕開けと同時に、脚光を浴びたといわれています。

    安土城の城郭に使われて以来、石工集団「穴太衆」の名は一躍有名となり、信長、秀吉そして家康と戦国時代の名だたる武将に受け継がれ、天下の名城にはことごとく「穴太衆積み」が採用されました。

    名称
    穴太衆積みの石垣 (アノウシュウヅミノイシガキ)
    所在地
    〒520-0113 
    滋賀県大津市坂本4丁目5
    アクセス
    JR湖西線比叡山坂本駅から徒歩15分、
    京阪電車坂本比叡山口駅から徒歩3分
    URL
    https://otsu.or.jp/thingstodo/spot4
  • 旧竹林院/

    旧竹林院

    旧竹林院は、比叡山延暦寺のかつての里坊で、竹林院といいました。里坊とは、延暦寺山上の三塔十六谷といわれた山の坊「山坊」に対して、麓の坊ということで「里坊」と称されています。

    里坊ができたのは、近世になってからで、現在のような里坊は、比叡山の上で修行していた老僧が、天台座主から里坊を賜って居住したのが始まりとされています。このため、山上の坊とは異なり、余生を送る生活が中心であったため、生活としての工夫から庭園がつくられたものといわれています。

    竹林院は天正二十年(1592)の創立と伝えられています。延暦寺の中でも格式の高い寺院であったといわれ、豊臣秀吉や徳川家康も、たびたび竹林院を訪れ、茶の湯を楽しんだといわれています。

    庭園の特徴は、八王子山を借景に地形を巧みに利用しながら、滝組と築山を配しています。大宮川の清流が園内をかけめぐり、たっぷり植えられた木々、手入れの行き届いた苔が四季折々、しっとりした風情を醸し出しています。

    庭園内にある二棟の茶室と四阿(あずまや)が巧みに配され一連で使用することによって茶事ができるように工夫されています。

    中でも入母屋造り茅葺きの茶室は、「天の川茶席」と呼ばれる珍しい間取りで、2つの出入り口を設け、主人の両脇に客人が並びます。

    この様式は、全国でも武者小路千家東京道場以外に例はありません。

    名称
    旧竹林院 (キュウチクリンイン)
    所在地
    〒520-0113 
    滋賀県大津市坂本5丁目2-13
    アクセス
    JR湖西線比叡山坂本駅から徒歩20分、
    京阪電車坂本比叡山口駅から徒歩10分
    URL
    https://kyuchikurinin.jp/
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